てぃーだブログ › 心の宇宙散策 浅野恵美子

2011年02月28日

心の宇宙散策は、新バージョンへ

 浅野恵美子は、自分自身でブログを運営できるようになりましたので、「心の宇宙散策」を、新しいアドレスに移転します。
 http://kokorouchuu.ti-da.net

記事は、2月28日から、新しいアドレスで見ることができます。

 これからもよろしくお願いします。  

Posted by 浅野誠 at 17:54Comments(0)

2011年01月15日

読 み 聞 か せ に 活 か す ド ラ マ 法 (2) 2011年1月11日

 ねむりむしじらーの読み聞かせ(15分)は、別の学年でもやらせてもらった。学年が違うと反応や関心も違い、ドラマ化する時にも勝手が違ってくるはずである。
 前回話題にした3年生の次に訪れることになった学年は6年生。読み聞かせの人が不足で2クラス合同で50人くらい。ドラマをするには人数が多すぎた上に、生徒たちは落ち着き、大人びており、ドラマには簡単には入ってくれそうもない雰囲気であった。
 親からの心理的な離乳の準備が始まっている年齢である。「もう6年生だから、親から独立することを考えているでしょう。親は子どもより先に死ぬ。いつまでも子どもを助けることはできない」などと話しかけると「そうだ」という顔のはっきりした反応があり、さすが6年生だ。読み聞かせの後、感想などを聞き、一人の男生徒に「じらーになってくれないか」と頼むと素直に前にでてくれた。じらーへのいくつかの質問の後、私は嫁さん役になって「あなたの嘘がばれて私は笑い物。はずかしい。どうしてくれるの」とロールプレイングへ持ち込んだ。まじめな彼は、困ってしまいセリフが思いつかない。そこで、役割を交代して、彼に私が言ったことを繰り返してもらい、じらー役(私)は「君のことがすきだったんだ。これからも 頑張るから許してくれ」と3年生の時と同じセリフを言った。すると嫁さん(彼)は小さい声ではあったが、はっきり「はい」と応じてくれた。夫と妻の関係について考える材料にできそうであった。

 次に訪れた学年は2年生であったが、読み聞かせへの集中がはっきりしなかった。内容が心に入っていないのではと不安がよぎった。ロールプレイングどころではなさそう。そこで私はじらーになって演説調で話し、話の内容をつかんでもらうことにした。「君たちは、おれが働かなかったことが悪いと思っているかもしれないが、誰だって何もやりたくない時がある。君たちだって学校へ行きたくない時があるだろう・・」と言うと、意外にも生徒たちは「ある、ある」といきいきと反応してきた。じらー役の私も調子がでてきて、「嫌なときは嫌でいい。勉強したくない時はしなくていい」と過激なことを言ってしまった。そこでは、自分の気持ちのケアがテーマになったのである。
 次に訪れた学年は、1年生。一年生は「じらーはいい人ですか」と問うと、なまけものであったことを問題にする否定派8名、一生懸命働いたとする肯定派10名と二つに割れた。否定派の論客は、「働かないのはおかしい、コツコツ働けばお金は入るんだから」と言いはった。「君らは甘い。じらーの親は一生懸命働いていたけれど貧乏だったじゃないか。君たちだって学校に行きたくないことはあるだろう」と向けても「ない」ときっぱり。ここでは勤勉がテーマになり、前向きに張り切っている楽天的な1年生の姿が印象に残った。
  

Posted by 浅野誠 at 09:40Comments(0)

2010年12月01日

読 み 聞 か せ に 活 か す ド ラ マ 法  52号2010年12月1日

 昨日、玉城小学校の3年2組で、昔話「ねむりむし じらー」を読み聞かせた後、ドラマ教育法・即興劇を取り入れた。この話は、沖縄の昔話であるが、「三年ねたろう」として全国に類似の話があり、「となりのねたろう」の沖縄版である。
 首里に住んでいるじらーは、貧しい年老いた両親の一人息子であるが、働かずにねてばかりで「ねむりむし じらー」と皆から呼ばれている。両親は、なまけもののじらーに懇願されて、借金して白サギをかってやる。じらーは、その白サギをこっそり飼い、白サギで神の御告げを演出し、となりの金持ちの一人娘と結婚することに成功する。そして、結婚後は人が変わったようになって働き、両親も金持ち家族も幸せにする。

 物語を読み終えた後、私は、「じらーは、隣の金持ち夫婦をだましたよね。それっていいことかな?」と問いかけた。多くの生徒たちは、口々に「悪いこと」と答えていたが、「初めはいけないけど後はよかった」(女)と「みんなを幸せにしたからいい」(男)と言う二人の肯定派もいた。隣の3年1組でやった時と同じで、ごく少数の生徒が結果の大きさに注目した。
 私は、その肯定派の男子生徒にじらーになってもらうことにした。「教室にじらーがやってきます。このイスにじらーがすわります」と設定(ホットシートの手法)し、皆の前にあるイスに座ってもらった。そして、「皆さん、じらーにいろいろなこと質問して下さい」と促した。
 たくさんの手があがり、たくさんの質問がでた。「便所にいくときは起きたのですか」とか「何を食べていたのですか」、「どうしてそんなに小さいのですか」など。
 後者は、ドラマの世界に入れていない質問であったので、私は、助け舟役 (補助自我) となって、絵本をみせて、「ほらこんなに大きいよ」と答えたりしてじらー役を支えた。食べ物や健康に関する質問などには、じらー役はとっさに答えるのはむずかしそうであったが、「身体にいい新鮮な食べ物をお父さんとお母さんが食べさせてくれたから健康」とうれしそうに答える一幕もあった。

 次に、私は嫁役になって、側からじらーに問いかけた(テーチャ―・イン・ロールの手法)。「あなたが私を騙して結婚したとの噂が流れています。恥ずかしい。」と。じらー役(生徒)は、「ごめんなさい。一生懸命働くから赦して」。嫁役は「そんな問題ではない」とごねる。困ってしまうじらー役。「りこーん」という観客の声。
 そこで、役割交代して私がじらーとなり、生徒に嫁役を与えて続けていった。じらー(私)は、「君のことが好きだったんだ。これからも頑張るから赦して。」と嫁役を抱きしめた。3年生はまだ小さいので、じらー役の大きい私と嫁役の小さい生徒の抱擁は、イメージに合っていたようだ。皆の前で抱きあう二人の演技に、教室は楽しい笑いに包まれた。ドラマ法で、生徒たちと共に考え、笑った貴重な15分であった。
  

Posted by 浅野誠 at 09:09Comments(0)

2010年11月01日

父・母・胎児の関係ドラマ   51号 2010年11月1日

 胎児を登場させてのロールプレイングをやるようになったのは、15年くらい前の名古屋心理劇研究会でのワークがきっかけである。その頃、男も育児休業が取れるようなっていて、1年間の育児休業を取ったSさんをゲストに招いていた。 彼は、妻の自宅出産に付きそい、育児休業をとり、体験のすべてを記録して本にまとめた。生まれた娘に「自由に生きていいよ」と祝福する気持ちで一杯だったそうである。
 彼の話を聞いたKさん ( 境界例と呼ばれる人格障害をかかえていた)は、父親の愛に触発されてか、「生まれたくなかった」と涙ながらに発言した。すると、Oさん(不登校児の為の親子林間学校でのご縁から参加した母親)も、「10才にしかならない息子が、死にたいと言っている。こんなに幼いのに死にたいと言われるのは悲しすぎる」と言って泣いてしまった。

 そこで、私たちは、参加者のMさんの提案で「うまれていらしゃい」の心理劇をすることにした。登場するのは、胎児役 (生まれたくなかったMさんが演じる) と参加者の中から選ばれた父役と母役である。父役と母役は「そろそろ生まれていらっしゃい」と胎児に話しかけていった。胎児役(Kさん)は、促されてもなかなか生まれる気持ちになれないでいたが、やっと「迷惑かけるかもしれないよ」と言い、「迷惑かけてもいいんだ」と父役に言われ、やっと生まれる気になってくれた。
 この出来事から、大学生に胎児を登場させての「妊娠を告げるドラマ」を与えるようになった。若き学生たちにとって、特に恋人がいる場合、妊娠は人ごとではなかった。学生たちは、三人一組になって、違う設定のロールプレイングを三つ体験し、父・母・胎児の三役を演じた。そして、親の役目の大きさを感じ、子どもが祝福されて生まれることの難しさ、胎児の立場などを思い衝撃を受けていた。
 特に、子どもを受け入れる準備がない中での妊娠という設定の場合、妊娠した役の女性は、彼氏に妊娠を告げることがなかなかできないでいた。迷惑だと言われ、彼と別れることにならないかと不安がった。そして、ロールプレイングの中とはいえ、多くの妊娠中絶が選択されていった。

 カナダで友だちになったVさんの実際の妊娠経験は、このロールプレイングと非常に似ていた。彼女は、41歳で新しい仕事を始めようとしていた矢先に妊娠した。中絶はしたくないし、産む気分ではないしで困った。そこで、その厳しい状況を胎児に伝え、「・・どうしてもうまれたいの?・・・」と相談(?)した。すると、翌日、自然流産になったそうである。胎児にVさんの心が通じたのだろうか。
 去った夏に行われた国際児童演劇祭沖縄2010「キジムナーフェスタ」のドラマ教育セミナーで、久しぶりに「胎児との対話―うまれていらっしゃい」のワークを取り入れた。特に、胎児役が参加者たちに大きな気づきを与えたのが伺えた。胎児に障害があるとの設定の場合、胎児役は、本当に涙を流した。胎児は、この世とあの世の狭間で生きている。母親の腹の中にいながら人間の世界も感じ取っているのだ。胎児役の体験で、両親の愛を切望している子ども心、魂に通じる何かが開かれるのではないかと思う。
  

Posted by 浅野誠 at 10:49Comments(1)

2010年10月24日

新型うつ病と心の中の「どうでもいい君」 50号 2010/10/21

 うつ病は、心の風邪と言われ、今日では誰でもかかりうる病気である。うつ病になる人は、まじめな人が多いので、叱咤激励はいけないといわれている。しかし、最近、新型うつ病が注目され、テレビでも紹介された。新型うつ病の場合は、これまで言われてきたこととは違う支援が必要とのことである。
 米国精神医学会の診断マニュアルによると、うつ病は、次の4つに分類される。
⑴メランコリー型うつ ⑵双極性障害 ⑶気分変調症 ⑷非定型うつ病 

 新型うつ病は、この中の非定型うつ病に近いようだ。回避性、自己愛人格障害とか、逃避型うつとか、退却神経症などとも呼ばれる。
 うつ病は、本人には気づかれにくい病気ではないかと思う。病気を頭で理解できても身体や感情レベルでわかることは難しいのである。
 私は、相談においては、一人ひとりを良く見つめて「ケース・バイ・ケース」でかかわることが基本と思い、診断名にあまりこだわらないできたが、あるうつ病者との出会いが、私にうつ病というものを身体レベルで気づくきっかけを与えてくれた。
 友人の友人であった彼女は、自分のうつ体験を何度か訪れて、私に話してくれた。彼女のうつは夫婦関係もからんでいたが、うつ病になると家事などいろいろなことが、自分の意志に反して出来なくなってしまうということであった。

 今、日本で注目されている新型うつ病は、敏感・繊細な女性が日常のストレスから発症し、過食や過眠になる。また、自分の状況について、自己責任的にならずに、原因を周りに見つけ、被害的になったり、他罰的になったりする傾向があるうつ病とのことである。
 知り合いの別の女性の体験はそれに似ている。彼女は、つかれるとどうなってもいいという気持ちがやってきて、やる気が失せていった。「何をやっても意味がない」とまわりを責める気持ちになり、身体が動けなくなった。人と人とがつながれず、競争と不寛容が満ちている人間関係の時世である。そんな気持ちになることは珍しくはない。

 けれど、問題は、自分の出会っている困難・課題に立ち向かわないで、他者や環境のせいにして逃げていることである。それを指摘された彼女は、自分の逃げる心と向き合うことにした。この自分の中に住んでいる「どうでもいい君」をみつめ、巻き込まれないようにした。すると、意外にも簡単に「どうでもいい君」の影はうすくなり、寝てばかりにはならなくなった。
 多くの心の問題は、本人の思考に問題の根がある。思考は現実化する(マーフィー)のだ。思考、すなわち、考え方を合理的に正すとストレスの意味が変わり、病気は治まるのである。
  

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2010年10月04日

フィンランドの保育・子育て   49号2010年10月4日

 ヘルシンキの街を歩いていると乳母車で散歩している父子や母子、公園で遊ぶ園児たちをよく見かけた。フィンランドでは、子どもは家の中だけだと、発育に良くないことが分かってきたそうで、外気浴や外遊びが重視されている。
 昼間の親子の乳母車散歩が多いのはなぜかと思っていたが、3才児までは、家庭育児手当(5万円弱)もあり、家庭保育が多いようだ。3才までは、一人の保育者に育てられるほうが望ましいとの考え方が採用されて保育政策に反映されている。家庭保育は、1才以降の育児方法として、保護者自身による保育ができる制度。また、最高4人まで自分の子どもプラス3人を自宅に集めて保育ママとして保育することもできる。保育所にするか家庭保育にするかは自由で、親に給付される手当ても同じ。ちなみに保育料は親の収入によって変わるが有料。

 フィンランドの福祉は進んでいることは聞いてはいたが、いろいろ調べていくとその手厚さには驚く。出産費は入院費以外無料。育児休暇は3歳までとれ、育休が終わると同じ職種にもどれ、ベースアップされた給料が保障される。自宅で育児する場合、家庭育児手当と児童手当て(第1子16400円、第2子18100円、第3子21500円)が受けとれる。育児休業中は、生後10カ月まで66%の給料、1歳半まで7万円、3歳まで3万円の支給がある。時間短縮労働も子どもが6歳まで認められる。夕食は5時か、遅くとも6時ごろには家族そろって食べられるとのこと。うーん、すごい!本当かしらと疑ってしまった。

 実際に保育園を見たいと思い、地図に強い夫と共に街中を探し歩き、乳母車で散歩中の母親たちに声をかけて教えてもらい、2カ所の保育園にたどり着くことができた。最初に飛び込んだ園は、スウェーデン語の私立の保育園で、在園児は32名。部屋は大きな建物の一角で、住宅を保育園用に使っていると思われた。保育条件や保育者の給与などは、公立とほとんど変わりがない。

 二つ目の保育園は、空とぶじゅうたん遊びをしているとネットで紹介されていた公立の保育園で、園児は70名である。ここでも、私と夫の突然の訪問を男性の保育者が快く受け入れてくれた。空飛ぶじゅうたん遊びに使われるじゅうたんには、子どもの名前とお話絵などが縫い込まれていて、親が作成している。
 保育者は、たくさんの衣装をもっていて、衣装を着てイメージ遊びを盛り上げるそうである。施設は広くはないが、4歳以降でも子ども7人に保育者1人がいて、保育にはゆとりがあった。福祉が行き届いているので、出生率が高いのは当然と思えた。

 フィンランドの保育と出会ってみて素晴らしいと思うことは、施設も保育内容も地味であるが、親や保育グループがそれぞれに工夫して保育に取り組めるようになっていることである。それが、幼い子たちに豊かな人間関係、すなわち人間信頼を学ばせていくと思える。日本の保育サービスは、結果的に、親が保育園に頼りすぎていないか気になる所である。
  

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2010年10月04日

う つ 病 と 太 陽 光  2010年10月1日

 先日、娘夫婦の旅行に便乗して、フィンランドの首都ヘルシンキに8日間滞在した。そこには、静かな空気が流れ、人々は、乏しい太陽と寒さの大地を感じながら生きているようで寡黙であった。
 森と湖とオーロラと白夜とムーミン(童話)で知られているこの国は、国際学習到達度調査(OECD/PISA)世界一(総合)で注目を浴びているが、うつ病と自殺が多かった。フィンランド政府は、国をあげて自殺対策に乗り出して、自殺者の数を半減させた。今では、自殺率は、日本の方が高い(日本世界第6位、フィンランド15位)。フィンランド政府は、うつ病の知識をひろげ、診断を促し、薬を処方することで自殺率を下げたようだ。
 太陽の光がどんどん弱くなってくる冬至の頃、人々の心もどんよりと曇ってくるらしい。フィンランド在住のKさん(日本人)も夫が単身赴任で長く留守だったこともあって、うつぎみになり、イタリヤに旅行に出かけ、太陽を浴びて元気になったそうである。
 フィンランドでは、うつの原因として、太陽光の少なさが考えられている。うつを治療するための電灯は、病気でない人も持っている。朝の目覚めを促すような効果があるらしい。
 最近の話題は、両耳に8分間、光をあててうつを治すという治療器( ? )が売り出されたことである。脳が活性化されるというので、娘が興味をもって購入した。私たちはそれぞれに耳に差し込んで8分間光をあてて試してみたが、それぞれに違う反応であった。私はすぐに身体が熱くなったが、夫は頭痛になり普通にもどるのに時間がかかった。説明書に書いてあった通り、人によって影響が違っていたt。うつ病や自殺は、太陽があふれている沖縄でも多い。うつ病を太陽光の不足だけで説明することには無理がある。

 そんなことを考えていた矢先に、インターネットでヒラ・ラタン・マネク(66歳、機械エンジニア、インド)という男の話に出会った。彼は、早朝の日光をまばたきせずに1時間見つめるだけで、何も食べなくても健康に生きているというのである。
 アメリカ航空宇宙局(NASA)からも招かれて、科学者たちの監視のもと、130日間、日光と水だけで生きてみせたようである。
 マネク氏の太陽凝視は、日の出から1時間まで、又は日没の1時間前に行われる。死の不安がなくなり、うつ病も治るとのこと。昔からあった方法だというから驚きである。断食をしたわけではなく、太陽が食事になって食べなくても済むようになったそうである。早朝の太陽なら見つめることは簡単である。小食で生きていきたいと思っている私は、完全健康を目指して、早速、早朝の「太陽凝視実験」に取り組んでいる。太陽凝視は10秒からはじめ、翌日は20秒と少しずつのばしていき、最大44分までのばしていくといいらしい。わくわくである。
 ( 詳しくは、http://www.ishiki-revel.com/suneating1.htmを参照のこと)
  

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2010年07月16日

沖 縄 の 古 層 の 心 ・ 久 高 島 の 祈 り 47号2010年7月15日

 世界を救う13人のおばあちゃんとのご縁から、「うちなーおばあ、ガイヤの会」が立ち上がり、世界の、また沖縄のおばあの心を学び、受け継ぎ、行動していくための勉強会が始まった。第1回目は、久高島の神人、真栄田苗さんが特別ゲストである。久高島は、古代より「母神」を主護神とする祭が受け継がれている所であり、沖縄の古層の心を知る上でも重要な場所である。
 真栄田さんの人生と久高島の祈りについての話には、いろいろと考えさせられた。生死をさまよう病気に苦しみ、人間として鍛えられ、故郷の神人になっていくプロセスも興味深いものであった。

 久高島では毎月ちがう祈りがあり、イザイホー(神女になる儀式)によって神女になった女性は、それぞれの資質や適性に応じて役割を与えられ、月10日ぐらいは祈りがある。今は行われていない12年に1度の午年に行われるイザイホーでは、30才から41才の女性が皆神人になる。
 久高島の祈りの内容がまた興味深い。海と陸の安全祈願、五穀豊穣の祈り、火と水に災いがないようにとの祈り、世界の七つの海にむかっての祈り、すべての人が食べ物に不自由しないようにとの祈り、すべての男の子の健康祈願(男の子は弱かった)、神迎え・送り、そして、感謝の祈りとことあるごとに世界や大地に向かって祈るのが常である。世界に向かって祈っているので世界中から人々がやってくるそうだ。
 神人になった女性は、おなり神として、家族と男兄弟を守護する=祈る役目を与えられる。半年もサバ二で漁にでる男たちは、故郷で祈られていることを感じながら頑張ることができただろう。
 子どもたちの為の祈りと訓練の仕組みもある。子(ね)の日には、子年の子どもたちの為に祈り、寅の日には寅年の子どもの為に祈る。タンカーと呼ばれる祈りでは、真水と塩水が出会うエネルギーのある神聖な場所で、誕生日を迎えた赤ん坊を水にひたし、真水にも塩水にも強くなるようにと祈る。14歳の大晦日には、子どもたちは自分たちで魚をとって料理して食べるなど、大人になるための練習を始める。

 600年前頃、首里王府が祝女体制をしき、祈りに介入して、祈りの内容が変ったらしいが、離島ゆえにゆるやかな支配であったようだ。おもしろいのは、結婚式で花嫁が逃げ、1週間逃げ隠れることができると結婚しなくていいという決りがあったことである。権力者による強制結婚を止めさせるのに有効であっただけでなく、親が勝手に決めた結婚から逃げることを容認するシステムでもあった。
 久高島の土地はすべて、個人の資産ではなく共有であり、島の人は借りて使っている。今では日本のどこにもないであろうこの特別な制度は、神人たちの運動があって可能になった。それは、共に生きていくことを大事にするポリシーを、神人たちがもっていたから可能になっただろう。
 久高島には、故郷のような空気が流れている。日々の祈りによって、浄化された自然と共にいきてきた場だからだろうか。昔の沖縄人が、共に生きる知恵とシステムをもち、相互につながり支えあって生きていたことが想像できたと思う。(参考 比嘉康雄著 「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」 集英社新書)
  

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2010年05月18日

死 と 夢   46号2010年5月17日

 大学生だった頃、劣等感が強く緊張していた私は、戦争に巻き込まれたり、誰かに追いかけられたり、死にそうになっている夢をよくみていた。棺桶に横たわっていて死ねないでいる夢をみたこともある。今、思えば、自分が変わる必要があるのに変われないでいたのだろう。
 Tさん(70歳)は、自分が死ぬ夢をみて、いよいよ死ぬらしいと恐怖していた。私は彼女の近況をよく知っていたので、その夢の象徴することが分かると思い、彼女の状況と死の夢との関連を分析してあげた。Tさんはそれを聞いて納得しすっかり安心した。
 彼女は、小さな自営業を営んでいて、将来の生き残り策を模索していた。まわりは、彼女が引退し、時代の変化に対応できる有能な人材を先行投資で採用し、10年後には息子が社長になれるようにしてはどうかと進言していた。賢い彼女は、その進言を理解し受け入れねばと思っていたが、そんな矢先にみたのが、死ぬ夢であった。それは、引退をすることは自分が死んでしまうに等しいという気持ちの象徴であったと思われた。
 教育センターの相談助手のアルバイトをしていた大学院時代、私は頼りにしている先輩が死ぬ夢をみた。大切に思っている先輩が死んでしまう夢をみて、私はあわててしまった。なぜ、よりによって頼りに思っている先輩が死んでしまうのか。私は夢事典などをたよりに夢分析を試みた。結論は、私が仕事に慣れて、先輩に依存しなくてもやっていけるようになったこと、先輩からの自立、自信の現れであった。
 夢研究で夢日記をつけていた時、多くの夢の意味は分からなかった。時がすぎて、ある時、身辺を整理していてその夢日記に再会した。何と、「三男の兄が家を建てることになっていて、敷地がお墓の側であり、亡くなった次男の嫁がお墓のあたりを掃除している」と書かれていた。当時、私には、遠く離れた兄の情報はまったく入っていなかったし、その頃、兄は家をまだ建てていなかった。ところが、兄夫婦は、本当にお墓の側に家を建てて暮らすようになっていたのである。夢の中に未来が入っていたことが、信じられず、驚きであった。けれど、父の死後、病床の母に関する予知夢や正夢を何度かみるようになった。人は肉親の死をきっかけに、霊的な世界にも開かれていくらしい。
 S・フロイト(精神分析)が切り開いた夢分析は、「心の宇宙」開拓のようなものである。夢には、過去、現在、未来のあらゆる情報がまぎれこむ。夢の国は、何でもありで、秩序はない。しかし、丁寧に、生活と関連させてみつめるとその意味が分かることは少なくない。夢分析は、宇宙的自己への扉かも知れない。
  

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2010年05月09日

カルマ・・・自分にもどってくる自分のしたこと 45号 5月9日

 カウンセリングの授業で昔話の「ねむりむしじらー」をとりあげて学生たちとワークをした。じらーは、神の御告げを演出して隣の金持ち家族をだまし、金持ちの娘との結婚にこぎ着け、自分と娘の両家族を幸せにすることに成功する。
 けれど、もし、神の御告げという嘘がばれたら、妻とじらーの関係はどうなるだろうか。学生たちにジラーと妻の対話のロールプレイングを与え、考えてもらった。すでに子どもも生まれ幸せになっているという設定なら、頑張って幸せにしてくれたのだから赦すという女性たちがいた。男性たちは、家族にどう弁明し、妻との関係を修復・再構築できるか考えさせられたようだ。男子学生のひとりは、「自分がしたことは自分にかえってくると考えさせられた」と発言した。カルマに似ているではないか。
 世界的に広がっているTM瞑想の創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによると、
 一つ一つの想念、言葉、行動を通じて、人はその環境に影響の波をうみ出す。池の波紋が広がっていって岸にぶつかり戻ってくるように、自分の行いは、いいことも悪いことも最後には自分に戻ってくる。そして、戻ってくる時間は、輪廻転生のような長き時間の場合もあれば、すぐにやってくる場合もある。
 「カルマの哲学によれば、今ここでだれかが幸福であるとしたら、それはその人の過去の良い行為の結果であるということになります。つまり、有徳な行為によって周りに幸福と調和に満ちた良い波動をうみだした結果がもどってきているのです。いま苦しんでいるひとがあるとすれば、それはそのひとが過去においてまわりに苦しみと不健康と悲惨さの影響をまき散らした結果であるのです。」(マハリシ「超越瞑想入門」)
 思い出すのは、Yさんのことである。彼女は、恋愛結婚をしたが、精神障害のある自分のおばさんの存在に強い偏見を持つ姑を受け入れられず、耐えられず、1年たらずで離婚した。夫には何の問題もなかった。その後、彼女は別の男性と結婚したが、まもなく、その夫から「別の女性を好きになったので別れて欲しい」といとも簡単に言われた。彼女はショックで苦しんだが、別れた夫に自分がしたことを、今度は、現夫から自分が受けていることに気づいた。彼女は、「自分のしたことが自分にかえってきた」と辛抱して、夫婦関係を守った。いまでは、男の子が3人もうまれ幸せにやっている。
 私も、仕事柄クライアントに励ます言葉をかけるが、相手への思い・言葉・祈りが自分に返ってきて、自分が元気になっていることに驚くことがある。いいことも悪いことも自分のしたことは、結局、自分にかえってくると考えたほうがよさそうである。
  

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2010年04月21日

おばあちゃんの祈り・パワー  2010年4月21日 44号

 人は、だれでも、心のどこかで、祈りの持つ力を知っている。暮らしの中に祈りを回復すると、つながりと平和がひろがっていける。心の中で誰かに話しかけ、祈るだけで自分が変わり相手も変わり、人生も変わる。しかし、日々、祈ってはいても、他者との連帯の心を欠いているためか、危機感のない平和ぼけなのか、本当に願っているのか、私の祈りには、迫力がない。
 そんな私が、世界中から予言の導きで集められたという13人のおばあちゃんの一人、クララ・シノブ・イウラさん(ブラジル、アマゾン在住、日系人)と対談の相手として出会う幸運に恵まれた。13人のグランマザーたちは、母なる大地の苦しみ、悲しみの声に耳を傾け、祈り、七世代後の子どもたちに叡知をつなぐため、アフリカ、ユーラシア、北アメリカ、南アメリカの4つの方向の大陸から集った。彼女たちは、地球の守護者としての先住民の伝統と叡知を引き継いでいるヒーラーであり霊能者である。
 彼女たちを紹介している「世界を救う13人のおばあちゃんの言葉」(ゴマブックス株式会社)を読んで、私の中に大きな力と希望がみなぎった。内なるおばあちゃんパワーがふつふつと湧いてきたのである。子どもたちを心から純粋にいとおしく思う心は、おばあちゃんになってみるとわかる。もし、この先、世話されるだけの老人になってしまうとしたら悔しい。生きている限り、家族や誰かのお役にたち、輝いていたい。家族を愛し続けてきた女性の力を自覚すべきだ。

 4月16日の夜、玉城にある小さな「浜辺の茶家」で40人近くがひしめいてビデオを見て、クララさんの話を聞き、最後には皆で大きな祈りをささげることができた。集まった人々は、地球の危機、人間(自己)の危機を思い、それこそ「嘘と幻想で汚染された世界」に違和感を覚え、霊性の回復による自他の世界の浄化・救済を願っている方々である。今の時代は、私たちを霊的に盲目にさせている。おばあちゃんたちは、「すべての生命は神聖であり、石にもスピリットがある」としているが、それは久高島で長い間守り続けられてきた精神でもある。私たちは、大地とのつながりを回復させ、宇宙的な自分=自然な自分とつながる必要がある。
 クララさんの話をここで詳しく紹介できないが、興味を引いたのは、戦争の苦しみが、この沖縄の地になお空気として残っており、彼女の身体に重く響いていることである。私自身、沖縄の空気を重く感じていたので、理由がわかったと思えた。特に、普天間の代替地とされた辺野古の海は、不穏な苦しい海になっているそうだ。反戦、反基地闘争が祈り・愛を欠いたものだとしたら、長引いているその闘争は、戦っている人々を自我の苦しみに追いやりかねない。運動そのものが愛でなければ持続できない。世界中で多くのおばあや女たちが祈って頑張っていると思うと、私も、連帯の心が湧いてきて、力強く祈り、前進できそうな気がしている。
  

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2010年03月18日

受 容 と 居 場 所  43号 2010年3月18日

 沖縄保育問題研究会の若手グループ(あしびなー会)の勉強会で、保育園における親支援について、共に考える機会があり、保育者たちのとまどい・思いにであった。
 発達が気になるので専門家にみてもらった方がいいと言われたショックで保育園を変えた親、帰える時間に近い4時半に病院に連れていくため子どもを迎えにきたが病気でない子どもの方は連れていかない例、子どもたちをお父さん担当、お母さん担当と決めて分担している例、仕事の都合で病児保育を頻繁に利用し、とうとう入院になってしまった例、子どもの体調のわるさに気づかない例などに保育者たちは、「あれ?」と思うそうだ。

 これらの例は、めずらしいものではなく、今日の家族の暮らし方の現れにすぎないだろう。しかし、子どもの必要に気づかず、子どもを世話されるだけの存在にしているようであり、家族集団を育てる観点が弱く、思うようにいかない現実、子どものニーズと絡んでいない。これでは子どもが守られているとはいえない。そのつけが小中学生になって現れることがあるのだ。
 E君(中学生)のことを紹介したい。E君は、笑顔のすてきな気立てのいい生徒であり、発達障害があるものの、信頼を求めるようにじっと顔をみつめる生徒であった。小学校に入学したとき、担任は彼の発達の問題に気づき親に伝えたそうだが、親は受け入れず、普通の子どもだと主張して、彼のニーズにあった教育は与えられなかった。高学年になって、教師のうまい誘導で特別支援教室にくるようになったが、文字や数字は書け、足し算はできても、生活の主人公として立てられていないので、責任を自覚せず、学習は生きる力と連動していかなかった。
 そして、中学生になると性欲に目覚め、おそらく心のすきまを埋める必要から、お化けや性的な妄想の世界にはまり込んでいった。彼は、身体は青年でも心は幼児で、幼児のように甘え、担任をふりまわし、妄想(想像)の中で浮遊し、スイッチが入ると凶暴になり、ときおり固まった。

 しかし、異常になりはしても、まともなE君もいた。まともなE君は、「俺はもう駄目か?」と悩んでいた。学校(教室)には、彼の存在が輝くような居場所がつくれず、遊び相手も見つけられず、自分が何者か分からなくなっていたのである。
 彼の力を信じ、声をかけ、励まし続けると落ち着いてくれたことが救いだった。そして、彼の異常は、彼の新たな可能性を開いた。遅すぎたとはいえ、親も周りも彼の真実と向き合うようになったからである。人は誰でもだれでも、関係の中に居場所があって、つながってこそ人生の物語が進み発達もできる。受容とは、よき補助自我を得て集団の中に居場所があることである。
 表面的な嘘のやさしさ、嘘の受容が蔓延していないか。皆が、偏見や先入観から自由になって、親や子やお互いを受け入れ、居場所を与えあい、共に生きる覚悟で進むことが重要である。
  

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2010年02月10日

自然な心・つながっている命 42号 2010年2月10日

 人間にとって言葉は、奇跡をひきだす力を持つこともあるが、自分を縛り、他人を傷つける剣にもなる。「失業した夫が、いつも家にいて、家事に細かい要求を出すので、苦しくて家出すらしたくなった」という友人に、「家出したらいい」と言ったことがある。彼女は、唖然として絶句したが、家出できないと思っている自分の囚われに気づいた。
 関係学の創始者、松村康平(故人)は、いつも「問題児はいない、自閉症児はいない、変な人はいない」と言っておられた。私は、恩師のその言葉に支えられて、自分が駄目としか思えない時も、その時できている自然なこととして、自分にOKを与えてきた。

 人は、しばしば、ゆがんだ非合理的な考え・認知(不安)から悪あがきに陥り、自然なつながりを見失ってしまう。特に、現代社会の管理過剰な近代化されたシステムが、自然な人間関係、自然な心をどんどん壊していると思えてならない。
 学校では、自閉症や軽度発達障害の言葉のラベルに惑わされ、むずかしい子どもとして、管理の対象になってしまい、いいところがみえなくなってしまう場合がある。親が、障害児という言葉に過剰に反応して子どもの真実をみないこともある。
 重要なことは診断やラベルではない。かかわりが難しい子どもがいることは事実であり、特別なケアも必要である。しかし、障害はその子のごく一部であって、同じ子どもであり、同じ人間である面の方が大きい。子どもが落ち着かなかったり、暴れたりするのは、障害のためというより、その子に合った生活や関係状況ができていないからである。
 松村の教えは、仏教でいう「空の思想」に通じていた。「空」とは、何もないことではなく、執着や偏見を作り出す自我や言葉や評価から開放されて、みえないけれどつながっている大自然の命を生きることである。「空」とは、達成した「悟り」(言葉)にも囚われず、「悟り」を忘れ、自然で自由な自分になることである。

 インドの和尚もタントラ仏教を教えていう。「自分自身と戦わないこと、・・あなたのまわりに品性だの道徳だのという枠をつくろうとしないこと、・・もしあなたがあまりにも文化づけされすぎたたらあなたはすべての自然なるものを失うだろう、・・・・ひとつひとつの独立した問題を解決しようとしないこと、そんなものはありはしない、心そのものが問題なのだ、・・・・・心が解決されなければならない。・・・」(存在の詩)。
 全てはなるようになっているのであり、関係的命、心、Natural Selfが問われている。私は、心身が窮地に陥った時は、静止して深呼吸をすることにしている。深呼吸を続けていると、身体と心がつながり、宇宙とつながっている命が回復してくるように思える。
  

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2009年11月01日

心の宇宙散策41号 病 気 が 生 ま れ る 時 空

2009年11月1日

  病 気 が 生 ま れ る 時 空

 他者が演じる心理劇をみているだけで、心の内なる記憶が呼び覚まされ、悲しみや怒りの気持ちが湧いてきて、病的な症状まで出てくることは珍しくない。それは、日々の出会いや出来事の中でも頻繁におこっている。自分の外側で起こるすべてのこと、自分が体験することは、客観的な出来事であるにしても、その出来事の意味は、自己の内側の反映であり、自己の心の鏡であるという面があるとみた方がよさそうである。
 私の経験を紹介したい。私は、夏に、「芝居小屋にらいかない」というレストランで行われた「小さな紳士」という音楽劇を観る機会があった。雨天の為、野外でできずに狭いレストランの空間でなされたので、目の前の役者の息づかいまで感じつつ観ることができた。けれど、それをみた後、私は胃の痛みを覚え、胃の調子が悪くなったのである。
 その物語は、ある男が、長い孤独の後、犬と出会い、幸せな日々を送るようになるのであるが、そこへ魅力的な女性が現れて、犬と大の仲良しとなり、男はその女性に犬を取られたと嫉妬し離れていく。けれど、男は犬と女性のところにもどり、もとの仲良しになるという単純な物語であったが、音楽のすばらしさもあって飽きることはなかった。
 それなのに、なぜ、私の胃は痛んだのか。私はストレスが胃にくるタイプらしいが、胃の調子は、よくなっていた矢先のことである。私は、主人公の孤独な男にかなり同一化したらしい。つながりを失って、なぜ生きているのかわからない心、周りとつながれず取り残される心が、私の心に生きていたらしい。私は、自分がその男と同じような経験をしたこと、それによって胃が苦しんだことを知ることとなった。 
 別の場所でも同じようなことが起こった。それは、非行少年の事例研究会に参加していた時のことである。そこでは、遊びから友人に命の危険にかかわる重大な傷害を負わせた非行少年のケースが報告され、少年をどう心理分析できるかで討論が展開していた。
 そこで少年に対する意見がいろいろ出ていたのであるが、それを聞きながら私は、嫌な気持ちになった。少年本人が、この対話を聞いたらどう感じるだろうかと思いながら聞いていたからかも知れない。特に、少年をどう更生させうるかという観点が見られず、本人の状況を無視しての「将来、精神障害になる可能性がある」などの意見に私は反応したらしい。家に帰ってみると、またもや胃の痛みを覚えていたのである。
 演劇の主人公や直接知らない少年のことから、病気が生じたことに私は自分のことながら驚いた。病気を引き寄せたのは私であるが、人の痛みは、自分の内なる痛みとつながって、身体に現れるのである。 
  

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2009年10月12日

悲しみの涙にのって虹へいく 40号10月12日

 赤と黄色は友達でした。
 赤と黄色がダンスをすると、黄色は赤を抱っこしてしまいました。
 そして、赤と黄色は歌を歌いだしました。
・・・・「あたしは、自由」と黄色が歌うと、「俺は強い、爆発する」と赤も歌います。
      そこへ緑がやってきて、・・・「私は、そよ風になる」・・・と歌いました。
    すると青は、・・・「私はどこまでも続づく青。宇宙のかなたまでいきます。」と歌い、
 それに答えて、赤は、「俺だって宇宙のかなたまでいける」と歌いました。
 すると黄色も・・・・「あたしだっていけます」と続けました。
 青は、・・・「じゃあ、皆で手をつないで行こう」と提案しました。
 皆は賛成して、手をつなぎました。すると、不思議、不思議。七色の虹ができました。
 皆は、「ヤッホー」と喜んで、飛んでいきました。
 どこへって?
 宇宙にきまっているじゃない。

 それをマイケル君がみていました。マイケル君は、虹に手をふりました。
 すると、なぜか、涙がでました。涙がどんどん流れて、どんどん空へとびました。
 マイケル君は、その涙にのって虹を追いかけました。そして、虹と手をつなぎました。
 虹の中のピンクの色は、マイケル君です。見えるでしょう。
 
 M君(小3)は、両親の不仲に心を痛めていた。父さんも母さんも大事なのに、とうとう母さんは家を離れて暮らすことになった。母さんはMたちの為に家にきていろいろ手伝ってくれて生活に不自由はないし、友達とも遊んで楽しいのであるが、ときどき心が寂しくて動けなくなった。皆に励まされて学校にきても、気合が入らず元気がない。先生は、心配して相談室へつれてきた。
 そんなM君は、相談室にきても浮かない顔をしていた。暮らしぶりを聞き、「お父さんやお母さんも人間だから思うようにならないことがあるのだ」と言い聞かせつつも、「父さんと母さんはしっかりしてほしね」と言うと強くうなずいた。いつもやっている遊び絵に、話をつけたのが、上の物語である。その話を聞いて,R君はちょっと明るい顔になってくれた。Rくんの悲しみの涙は、虹に届くように思えて、こちらも気持ちが楽になった。
  

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2009年10月12日

遊び絵に話をつける―空に遊びにきた緑色 39号10月12日

 私は、カウンセリングで話を作らせたり、作って聞かせたりをよくやっている。物語の中には、生きるヒントが自然とたくさん出てくるからだ。「死にたい」と叫んで混乱していたT(中3)には、彼の描いた木の絵から話を作って聞かせたことがある。その話の内容は、彼が目の前にいたから作れたものであった。その物語を聞いた彼は、「わかった」といい、気持ちが落ち着いた。どうわかったのか私は聞くことはしなかったが。
 プチ家出をしたK(中2)には、遊び絵を活かして物語をつくろうと提案した。けれど、彼は気持ちがのれなくて、結果的に私が全部つくるはめになった。
彼と私が交互にクレヨンで左手を使って描いた線画に、彼に色をぬってもらって完成しただけの遊び絵からどんな物語がつくれるのだろうか。私は見当もつかなかったが、ちょっと考えて、水色を空に、緑色を主人公にして状況設定して話を進めていった。
 ・・・・緑色が空に遊びにきました。空が「こんにちは」と声をかけました。緑色は何と答えていいかわかりません。空がまた声をかけました。「うれしそうだね」と。緑色は、まだ何も言えません。空は仕方ないので黙って緑色をみていました。緑色は空を見ないようにして、ただ風にのって動いていました。空はずっと緑色を感じていましたが、緑色はみないふりをしていました。緑色はだまってあっちにゆれたり、こっちにゆれたりしていました。空はいつも緑色についてきました。とうとう緑色は叫びました。「あっちへいけ」と。けれど空はどこへも行けません。緑色から離れることなんかできないことです。だって緑色が空にやってきているのですから。空は何もいわずただそこにいました。緑色は困ってしまいました。空からどうやったら逃げられるか考えました。緑色は、空から何もいわれないように何かをすることにしました。ちょうどそこへ、風にのって鳥がやってきました。緑色はその鳥の羽の色になることにしました。これなら空からさほど気にされないでしょう。「君の羽の色に僕をいれてくれないかな」と緑色。「いいよ」と鳥。緑色はとても喜んでその鳥の羽に入りました。緑色は、皆が「きれいな色の鳥ね」といわれるほどに目立ちました。緑色はとてもうれしくなり、ますますきれいな色に輝きました。空はそれを見ていました。そして、空も嬉しくなりました。緑色と空は、相変わらず話すことはありませんが、なぜかどこかで友達でした。鳥も緑色を大切にしました。
 即興で偶然つくられたこの話は、彼と私の関係に似ている。親と彼との関係にも似ている。
 私は、つながれないように見える関係にも意味を見つけて生きることを伝えたかったかもしれない。授業の終わりのチャイムがなって、相談室に飛び込んできた彼の友人たちに、絵からうまれたこの話を聞かせると興味を示して大笑いをした。
  

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2009年09月02日

沈黙で育てる心・人間関係 心の宇宙探索38号 9月2日

 今、人々は、心が雑多な情報や不安に満ちて、危なくなりやすい関係を生きている。発達障害が大きな問題となり、落ち着きがない子どものことが取り沙汰されているが、それは子どもだけの問題ではない。人は、自分のいる所に、心と身体の居場所を得て、周りの物や人とつながってこそその存在を輝かすことができる。落ち着きのない心は、人間関係のつながりを見失い、現実感を見失って浮遊する心である。それは、幽霊のように存在感がなく、犯罪や精神障害に通じる「透明人間」、「死んでいる心」に通じている
 そんな危機的状況の中、私が期待をよせているのが、教育と沈黙(黙想・瞑想)をつなげていくことである。人は、静かにすわって、心の内側と外側をただ見つめ、そこに留まり、与えられた現実を受け入れているだけで、落ち着くことができるからである。

 八月に沖縄市で開かれたキジムナーフェスタで、私は、沖縄ドラマ教育研究会の仲間たちとドラマ教育セミナーを担当した。ドラマ教育は、子どもたちが課題に即してロールプレイングをし(体験的に実験をし)、一緒に考える参加型の創造的学習法である。
 ドラマ教育は、演劇を上演する為の教育ではなく、総合的な教育法であり、独自の理論・実践・技法を発達させており、世界的にも広がっている。しかし、今の日本の学校の授業では部分的にしか活用されていない。日本の多くの生徒たちは、物理的には同じ時間と空間の中にいても、側にいる先生や仲間をあまりみつめず、心理的にはそこにいないことも少なくない。だから、先生は生徒たちを授業に集中させることに苦労していて、先が読みにくいリスクのあるドラマ教育に挑戦するゆとりはなさそうである。
 フェスタで「沈黙」から始めたドラマ教育では、それぞれに椅子に座って、「目を閉じてこの部屋を感じてみる」を5分間。次に「部屋にある物になって座って感じてみる」を5分間。次に「それぞれに好きな所へ出かけてゆったりし、そこにある物をもって帰ってくる」を3分間。次に「会いたい人に会って話をしてくる」を3分間。それらの合間に感想を二人で話し合ったり、全体で話し合ったりした。
 その効果は、私の期待通りであった。部屋に静けさが広がり、緊張して参加していた人も教師役の私自身も、周りの物や人を受け入れて落ち着いた。皆で共にそこにいる快感があったと思う。参加者の多くは、この方法を高く評価したが、物になって沈黙したことを新鮮に感じた人、想像的に物になって心が落ち着いたという人、皆と一緒に沈黙できたことに意味を見いだした人などがいた。健康な持続可能な心は、この沈黙という土台、共に時間と空間を共有している心、集団の喜びの上にこそ育つはずである。
  

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2009年08月31日

37号  浅野恵美子作ブイアート 「満月の美」



 ヤハラヅカサにて撮影  

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2009年08月20日

過剰適応から自己受容へ  36号  8月18日

  中年のおばさんたちのたくましさ、ずうずうしさ、そのひらきなおりに「オバタリアン」という名前がつけられてから久しい。多くの女たちが、良き母、良き妻であろうとして、世間の期待を受け入れ、夫に耐え、子育てに耐えて「良い妻」「良き母」を演じ続けていることに、ある時、怒りがわき、激しすぎるぐらいに自分の本音に素直になっていく姿がオバタリアンである。それは、縛られることに「ノー」と言い、ありのままの自分に「イエス」と言って自己を解放する姿である。ありのままの自分に「イエス」と言える   健全な自己中心性、すなわち自己受容には、時間がかかるものらしい。

  Yさん(45)は、4人きょうだいの第1子である。幼少期より甘えることなく親を支えて、親の片腕のようにして暮らしを支えた。しかし、母親は、生活におわれて、彼女の苦労・努力をねぎらうことはなく、もっとうまくやって当たり前と厳しく要求し続けた。下の弟妹たちは、母親とうまくやれたが、彼女だけは自分本位の母族を許すことができず、そういう自分をも許せず、苦しい心をかかえていた。
  愛してもらいたかったのに、家事の責任を押しつけられるだけで、思いを聞いてもらえず、叱られ、否定され続けたことへのうらみは大きい。子育ての忙しさから開放された後、彼女は、自分にイエスと言えないできた幼少期からの苦しみと向き合うようになり、自己の真実を探し求め、人生修行を続けている。
  
  大学生だったOさん(24)は、3人兄弟の末っ子で、親からみるとわがままな上の兄姉と比較して、おりこうで、学校の成績もよく、期待の息子であった。しかし、大学受験では志望校に入れず、親の期待を裏切る結果となった。大学に入った彼は、授業にはついていけたが、友人を求めず、いじめを含む過去のトラウマからくる心の闇(うらみと暴力)に囚われていく。この闇は、両親の生き方と無関係ではないことを彼は確信していた。彼は理屈でせまる両親を許せず、家に居場所がなく、人間不信に翻弄されて苦しんでいた。
  幸いであったのは、彼は大人に甘えることができ、たくさんの大人の関係者とつながって自分の問題とむきあうことができたことである。彼は、就職までは至らなかったものの何とか卒業した。卒業後、彼はどこに居場所をみつけられるのかと私は、心配であった。けれど、彼の話によると、両親は、どうにもならない彼の苦悩をうけいれ寛容になっていた。彼の苦しみは続いている。しかし、彼は、家族にありのままの駄目な自分をさらし、受け入れてもらうことに成功したのである。先が見えなかった彼の苦しみが、家に居場所ができて何とかなったことは驚きであった。
  

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2009年06月02日

心の宇宙散策35号 シャーマンと心理療法

2009年5月11日

 昔から人類は、どの文化でもシャーマンの智慧と共に生きてきた。透視ができ、幽霊がみえ、未来が見え、高次の霊と交信し、死者の思いを聞かせるなど様々な能力を持つシャーマンは、スピリチュアル・カウンセラーとして、今日でも人々の暮らしの中に生きている。特に、ここ沖縄は、シャーマンの国かと思われるほどに、霊的な言説、行動は日常化している。しかし、ある霊に強制されて仕方なくユタになったと言うカミダーリの話をきくと、これでは、そのユタになった人の生が、見知らぬ霊に乗っ取られてしまっているのではないかと何か解せない。霊にもいろいろなレベルがあるのだから、霊能力があるからと言って簡単に信じては駄目だとコメントするシャーマンもいる。実際、人が何かをみたとしても、その意味はその人の見え方でしか把握できないものである。
 このシャーマンへの葛藤する思いに回答を与えてくれた人がいる。「現代のシャーマン」と呼ばれているアーノルド・ミンデルである。彼は、妻のエイミーと共に世界中のシャーマンを訪ね歩いてシャーマンの方法を体験した。そして、彼らが見いだしていた ドリームボデイワークとシャーマンの方法との共通性を見いだした。
 ドリームボデイとは、夢と共時的関係を生きている身体のことである。ドリームボデイワークの理論は、世界の宗教的叡知や文化や心理学などを広く取り込んで発展していて、奥が深く難解であり、プロセス志向心理学(POP)と呼ばれる。しかし、ワークそのものは、ロールプレイングであり、遊びのようなものである。私自身、ワークを何度か受けたが、身体を通して自分の心・夢・願いが見えていけたことに驚いた。
 ドリームボデイワークでは、身体の痛みや病について、よく感じ取ることから始める。その身体感覚を色、重さ、動き、音などのさまざまな方法(チャンネルと呼ばれる)でおおげさに表現し、実際にやってみせたり、やってみたりしていく。パートナーとその痛みや病をいろいろなやり方で表現していくうちに、日常の人間関係で自分が出会っている問題や願いが想起されてくる。身体の中に心が隠れていたかのようであり、潜在意識が意識化されたかのようでもある。身体と心のつながりが見えてくるのである。
 ドリームボデイワークでは、シャーマンのように変成意識状態に入り込んでしまわずに、目覚めて夢をみる「覚醒夢」と積極的に取り組むのである。顕在意識と潜在意識(宇宙的意識を含む)を同時に生きることができれば、人間たちはもっともっと平和でいられるのではないか。そういう視点が開かれただけでも人生が面白くなってきたと思う。
(参考「シャーマンズボデイ」コスモスライブラリー)
  

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